過去と現在のシステムが違うので無理な比較があるが、おおよそ現状のレギュラー選手を当てはめるとこんな感じなのかと想像する。
1998年から2002年にかけての移行は概ね若手への入れ替えがうまくいき、更に日本で開催されるという状況が手伝いもっとも伸びた時期と捉える事が出来る。
トルシエのまいた種は非常に大きく実った。
2002年は高原が参加するはずだった大会でもある。
2002年から2006年へは戸田、盛岡、松田、明神、鈴木隆之という主力選手が離脱。
ジーコの好みに合わない選手が多いが、もう少し出来たのではという選手もいる。
ディフェンスが宮本、中田浩二を残し入れ替えられ中澤、駒野という財産を作った。
中盤はトルシエの実りを収穫するように中村俊輔、遠藤を加えた。
また、FWもある意味ではトルシエの残したものに玉田を加えた。
ジーコはトルシエからディフェンスを変更し戦いに望んだ。
2006年から現在は日本のサッカーが焼け野原からどう立ち直るのかがテーマのように思う。
Jリーグはその後も発展を続けたが、代表人気は視聴率、集客率ともに衰えた。
白羽の矢が立てられたオシム前監督までもが悲劇に襲われ、Jリーグ始まって以降初めて後退の局面をたどっている。
まず選手から見ていくと、中田英寿という大きなカリスマを失った。
中田浩二、加地、小野、稲本、小笠原、福西、アレックス、高原、柳沢、大黒、宮本、坪井、茂庭等、年齢的にもっと伸びてもおかしくないメンバーが離脱。
怪我に襲われたり、モチベーションを失い伸び悩んだり、挙句引退してしまう選手までいた。
トルシエの果実はジーコによって見事に収穫されたが、もう少し丁寧な刈り取り、そしてもう少し美味しい料理が出来なかったのか、日本のサッカーとはなんなのかという感がある。
「若手が頑張っている」「選手が入れ替わるのは監督の問題だ」と切り捨てるにはあまりに人数が多い。
2006年は日本のバブル経済のような、日本サッカー協会に大きな試練を与えたと想像する。
取り戻すには相当な時間、また慎重な治療が必要なのだろう。
オシム前監督から岡田監督へ、日本代表は一から「日本のサッカー」というものを作る事になった。
経験という財産は岡田監督が提供する。
今後は「持続可能な日本のサッカー」というものを追求する事になるだろう。
2010年以降再びメンバーが入れ替わるのは間違いない。
ワールドカップというのは日本代表選手の体のみならず、心までも浪費する。
大会で良い結果を残す事は大切だが、選手にも生活がある。
燃え尽きてしまう選手全員を救う事は出来ないだろうと諦めてしまうのではなく、大会後はその悔しさをサッカーを通じて前向きなエネルギーに変えられるよう日本サッカー協会に要望したい。
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