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対談 野田秀樹

1月10日

■ W杯4強というと、「そんなの無理に決まっている」となる。どうして自分たちで抑えてしまうのか

舞台と映画の違いは、サッカーと野球の違いに似ています。ワンカットごと、ワンプレーごとに止めて指示の出せる映画や野球に対して、舞台やサッカーはけいこを積み上げて、いざ本番が始まれば役者や選手が自分の判断で作っていく。演出家と監督にも通じる部分があるのでは。
野田:即興性という意味でいうと、先にいろんなことを考えていても、予期しないことが起きてプランを一秒一秒変えないといけない。それは舞台に立っている役者もサッカー選手と同じ。それができない役者はぼんくら。でも、そういう役者が多い。
岡田監督:タイミングがずれたときに全員が意思統一するためにリーダーみたいな役者がいたりするのですか。
野田:出演者の多い舞台になると、一度崩れ始めたらだめなんじゃないかな。
岡田監督:以前にけいこを見せてもらいました。一部の役者の動きが遅れている時があって。自分ではわからないものですか。
野田:全体が見えなくなってしまうんですよね。サッカーと同じで、止まっていればわかるけど全体が一緒に動くから。それをけいこする段階でわかる役者でないといけないし、わからない役者は舞台に立ってはいけない。距離感のまったくわからない役者もいます。相手の近くにずっと立っていて、「離れて」と演出した時は直るけど。最初から距離感をきちんと持っている役者は、演出しなくてもいい立ち位置にいるものです。
岡田監督:距離感は感覚的にわかっていないのか、いろいろ考えるからだめなのか。
野田:自意識との関係がある気がする。他者を見るのではなく、自分のことに一生懸命になるからなのかな。
岡田監督:サッカーで距離感というと、ポジション取りで守備は狭く、攻撃は広くというけど、僕は攻撃も狭くという発想を持っている。日本人は欧州人と比べてキックの精度などでは差があるけど細かい技術はうまい。狭い局面に人数をかけて数的優位を作って攻めていったら勝てるという発想。ところが、狭いところでボールを受ける自信がない選手を1人入れると、全部の選手の距離感が崩れる時がある。バラっと広がってしまって日本の良さが出なくなってしまう。役者の世界でも、そういうのは直らないものですか。あるいは、経験を積んで身につくものなのか。
野田:なかなか直らないでしょうね、訓練しても。そういう回路にならない。役者の不思議なところで、世間では名役者と呼ばれる人が優れているかどうかはわからない。サッカーでは結果が出るからばれてしまうけど、人気稼業ではだめな役者でも、いったんいいとなってしまうと……。逆に新人のころからセンスというのか、呼吸や距離感に優れている人もいる。
岡田監督:けいこを見ていておもしろかったのは、細かい指示ではなくて「こういう感じで」と役者にイメージを伝えると、役者なりに考えて演技を変えていく部分です。
野田:それができる役者さんでないとだめです。演出家なんて言葉しか与えられないから、言葉をもらった役者がどれだけの想像を加えてやっていけるか。
岡田監督:最近、言葉はものすごく大切で、ものすごい力があると感じています。TPOを含めた言葉の使い方によって大きくチームも変わっていく。私なんて何ができるかといったら口だけなんですよ。映像とか色々使うけど、言葉の使い方は本当に大事だなと。野田さんのけいこを見ていても、役者に問いかけるけど、細かく「こうしろ」とはなかなか言わない。
野田:演出家が「こう歩け」なんて言うときは、役者を見限り、低くみている時。そういうやりとりは幼稚で、役者を信頼していない作業になってしまう。
岡田監督:私も以前は「こういう場合はこうしろ」と言葉を掛けていたけど、最近は言わなくなった。例えば、「お前はどう思う?」と問いかける。監督がやれといったら選手はやるけど、自分でやるように持っていかないといけない。そういうことが、この年齢になってようやくわかってきた。
野田:こちらのことを信じてくれている役者にはしゃべりやすい。役者の不満が聞こえてくるのは結局、役者が演出家を信用していない時。信頼関係が崩れた瞬間に言葉が成立しない。あと、聞けない役者がいる。「はいはい」と話を打ち切って最後まで聞かないとか、話を変えてしまうとか。テレビ育ちの役者に多くて、彼らは自分に自信がない。特に若くしてうまいと言われてきた役者は、メンツが先立ち、人前で言われた言葉を黙って聞けないところがある。
岡田監督:そういう人間は選手にもいます。
どこまで細かい指示や言葉を与えるのかは難しいところです。役者も選手も自身で考えてイメージを広げていったほうがいい芝居にもいいプレーにもなる。
野田:役者は典型的にそうですね。
岡田監督:今、あの選手にこうやれと指示したら勝つんだけどな、という時があるけど、それでは試合には勝ってもその先のゴールには到達しないのではないか。ゴールとは試合に勝つ、優勝する、W杯に出るということ以上の志を持つことなんだと思っている。ウサギとカメの競走もウサギは相手であるカメを見ていたけど、カメはウサギではなくゴールを見て走っていたと。目の前の相手に勝つだけではなく、ゴールを見た時に選手はどうあるべきなのか。私も相手を見て戦ってきた時代が長かったからよくわかる。もちろん、勝つことにはこだわるけど。役者も目先の賞ではなくて、そういう部分があるのではないですか。
野田:今の日本では映画も文学も演劇もそうですけど、目先の賞がゴールになっている。賞を取るために作品をつくるのは間違い。だからつまらなくなる。
野田さんは芝居をつくっていく過程のおもしろさをどう感じていますか。
野田:サッカーもいい試合ってありますよね。それと同じで、演劇もけいこ場で奇跡が起きる瞬間がある。すべてがうまくいき、非の打ちどころのない芝居ができる時が。本番でも再現したいけど、もうできない。そういう幸福感があった時はけいこという過程でもゴールというか、丘の上が見えてくる感じがする。
岡田監督:米国のスポーツ界で「ゾーンに入る」とか「フローの状態」というのですが、最高のパフォーマンスした時は選手が何も覚えていないことがある。集団でもゾーンに入る時があって、チームが一つの生き物のように動く。で、終了間際に得点が生まれて本当に奇跡が起きてしまう。世界中のアスリートがどうやってゾーンに入れるのか追い求めているけど、頭で考えてもできない。すべてをそぎ落とした没頭の世界なんでしょう。試合を見にいくと、若い監督がこうやって勝ってやろうとか、こんな作戦で勝ってやろうと見え見えの時がある。それで成功する時もあるけど、長い目で見たら違う。
野田:芝居でもあります。演出家がやらせている感じが強くなると、おもしろさが消える。作為が見えてしまう。
野田さんは海外でも仕事をされています。外国人役者と日本人役者の違いはありますか。
野田:演劇観が合う人であれば、国は問題にならない。演劇観が違う人なら日本人でも難しい。
岡田監督:サッカーの世界では欧州が絶対に上だという意識があるけど、演劇の世界でもそうですか。
野田:そうですね。日本人にとってシェークスピアは別格で、近代演劇ができたのは欧州からですから。
岡田監督:野田さんが欧州で外国人を使って演劇をつくろうとすると、彼らは「日本人の演出家かよ」みたいなことにならないですか。
野田:サッカーより運がいいのはサッカーはルールが一つだけど、文化の場合は「日本文化というのはあなたたちが知らないルールだ」と言えることです。文化の違いであって日本の演劇が劣っているわけではないと言える。
岡田監督:僕はそれをサッカーでも言っていいと考えている。日本人のやり方、日本流があるというと、すぐに「欧州ではこうだから」という話になる。でも、日本サッカーにはこういうものがあると堂々と主張してもいいはず。
野田:海外の役者と仕事をする時、彼らは日本の文化をちょっとつまみ食いできればいいわけで、アジア人が英国で演出する必要なんて求めていない。逆に日本人は外国人に演出してもらうとありがたがる。日本は明治維新の後、条約改正で政治的な意味と経済的な意味ではひとまず不平等を乗り越えたけど、文化的にはいまだに自立していない。相変わらず、まず欧米を見るし、若い人は欧米の文化をまねることから入る。私にもあるけど、コンプレックスのようなものが綿々と続いている。
岡田監督:文化的に自立できていないというのは、周囲が日本を下に見ているのではなくて、日本人自身の中にある問題のような気がしている。例えば、W杯4強というと、「そんなの無理に決まっている」となる。どうして自分たちで抑えてしまうのか。世界を驚かそうとチャレンジすることで誰にも迷惑をかけないのに、規制しようとする。そういう意味でも結果を出さないといけないと思います。